55 Maton SRS808

Maton SRS808

 ギターを始めてから現在までの四十数年間に何十本ものアコースティックギターを入手してきた。その中の1本のみにピックアップを後付けしたことはあるが、いわゆる製品段階からのエレアコ(エレクトリックアコースティックギター)は一度も購入したことがなかった。
 何百人も入る大きなホールでアコギを演奏していた大学生時代は、バーカスベリーというブリッジに貼り付ける小型のピックアップがようやく世に出始めたころで、当時の一般的なエレアコは機種も少なくアコースティックギターの音とはかけ離れた音を出力するものがほとんどであった。このためステージでのアコギの音はマイクで拾っていた。当時、オベイションのアダマスはすでに人気があったが、生音とは異種の独特の音がどうしても好きになれなかった。社会人になってからは大きなホールで演奏する機会はなく、出演しても小さなライブハウスだったためマイクで十分であった。
 さらに「アコースティックギターは生音が命」という先入観がずっとあり、上質なアコギをマイクで拾ったようなナチュラルな音が出るエレアコができるまでは買わないだろうと思っていた。しかし、その当たり前のような要求が技術的にはなかなか難しいらしく、そのまま何十年も過ぎていった。
 時代は変わり、小さな箱のライブでもエレアコが使われるようになっていった。このため私もライブ出演のために、手持ちのアコギにピエゾとコンデンサマイクをブレンドできるピックアップを取り付けねばならなくなったが、ライブの機会もさほど多くなく、専用のエレアコを購入するまでには至らなかった。

 ギター教室を始めて、エレアコ所有の生徒さんへの指導機会も増えていった。生徒さんのエレアコもテイラー、マーチン、ヤマハ、タカミネなど多種にわたり、音作りの相談なども増え、アコギ専用アンプやプリアンプ、エフェクターなどもそろえていった。そして、いよいよ私自身のエレアコの購入も検討し始め、各ギターメーカーの特徴や、ピックアップなどのサウンドシステムを研究し、楽器店でもいろいろとエレアコを試奏するようになった。
 色々なエレアコを試奏した結果、昔に比べると技術も進み良い感じの音のものも増えたが、まだ多くは外部プリアンプのイコライザーやエフェクトでかなり加工しないとバランスが悪く音が固まるものが目立ち、結果ナチュラルとは言い難い音になることもしばしばであった。さらに試奏機会が増えるとエレアコ単体でも良い感じの音を出す機種もいくつかあり、その中でも音のナチュラルさとバランスの良さはMatonギターが頭一つぬけていた。しかし、アコースティックギター専門店の老舗である神戸のヒロ・コーポレーションが数年かけて作り上げたというThe Fiealdsの最強エレアコが完成したとの話も聞いたため、もう少し他機種を試奏してから決めようと思っていた。
 そんな矢先、最有力候補のひとつにあがっていたMatonのSRS808のほぼ未使用新品同様品が、まさにドンピシャのタイミングでヤフーオークションに出品された。中古が出てもすぐに売れる人気ギターのため、それなりには競ったが何とか落札できた。

 Maton(メイトン)はオーストラリア初のギターメーカーである。社名は、創設者のBill Mayの「May」と、音という意味の「Tone」から作られた。オーストラリアにギターメーカーが無かった1940年代、Bill Mayは兄のReg Mayと共に、Maton社を設立。1946年に現在の社名Maton Musical Instruments Companyに変更した。その後オーストラリア国内では最大のギターメーカーとなったが、国外での知名度はそれほどでもなかった。
 近年に入り、オーストラリア出身のギタリスト、トミー・エマニュエルのアコースティックギターテクニックの話題が世界に広まっていった。そのころトミーはアメリカ製のギターを弾いていたが、Matonの社長がトミーに「なぜ国産(オーストラリア)のギターを弾かないのか」と聞いた時「今使用しているギターよりも弾きやすく、良い音の国産ギターがあれば喜んで弾く」との答えから、その後のMatonギターはトミーとの共同開発が始まった。
 トミーの高度な要求をもとにネック形状やスケール、ヘッド角を研究し、抜群の弾きやすさを完成させた。さらにエレアコの命であるピックアップもトミーと開発し直し、単体でも十分ナチュラルなピエゾとハウリングを押さえたコンデンサマイクをブレンドすることで限りなくナチュラルなサウンドも完成させた。
 現在、世界最高峰のフィンガーピッカ―といわれるトミー・エマニュエルの知名度が世界に広がっていくとともに、トミーが演奏するMatonギターの知名度も世界に広まっていった。日本国内でも秦基博、古川昌義、住出勝則、井草聖二など多くのトッププロが使用している。

 SRS808はMatonのマスタールシアーが長期の開発期間を経て新たに完成させたSOLID ROAD SERIES(ソリッドロードシリーズ)の代表的機種である。トップにはレッドシダー、サイド・バックはオーストラリア産のタスマニアン・ブラックウッド、ネックもオーストラリア産のクイーンズランド・メイプルが使われている。レッドシダーは柔らかい材で、明るくパワーのある音を生む。タスマニアン・ブラックウッドはハワイアンコアと同族の材であるがコアよりも比重はやや大きく、重厚で深みのある音を生む。この材の組み合わせに加え、ソリッドロードシリーズ特有のフォワードシフト&スキャロップブレイシングと深めの胴厚から、小さめのボディながら音量があり、低域から高域までバランスと反応の良い音を生んでいる。
 さらに、最上位機種にも採用されているピックアップシステム「AP5-PRO」がSRS808にも採用されており、トータルボリウム以外に、ブリッジ下のピエゾセンサーと、コンデンサーマイクの独立ボリウム、および3バンドのイコライザー(MidはFQ付き)で幅広い音作りが可能になっている。この「AP5-PRO」はバッテリーが単3電池2個ながら出力も大きく、アンプに直結しても十分な音量とバランスを生み出し、フィンガーでもストロークでもそのまま通用する非常にナチュラルな音を出す。大御所トミー・エマニュエルも「AP5-PRO」搭載機種を使用しているが、ステージでは外部エフェクターはデジタルリバーブのみでアンプに接続し演奏しているようである。

 到着したSRS808は1年保証期間が9か月以上も残っているほとんど傷のないまさに新品同様品で、小さめのボディは構えやすく、まず生音で弾いてみると評判通りの弾きやすさである。648mmのロングスケールではあるが、ヘッド角をかなりゆるくし弦のテンションを押さえ気味にしているため、力を抜いた素早いフィンガリングが非常にやりやすい。大掛かりなピックアップとプリアンプが付いているわりには生音も良く響くが、エレアコである以上、アウトプットの音質を最優先すべきなので、生音の質を高度に要求するのはあまり意味のないことだと思う。
 AERのアコースティックアンプに直結し、まずギターもアンプもオールノーマル設定で音を出してみたが、エレアコ特有の中域のふくらみやこもりもなく十分バランスの取れたナチュラルサウンドが出てきた。現在各ツマミの組み合わせを研究中であるが、今はMICをやや絞り、イコライザの高音を落とし気味にしたセッティングに落ち着きそうである。
 このように弾きやすさとエレアコとしての音質は素晴らしいものがあるが、個人的に気になる点はノイズと塗装である。パワーアンプの出力を上げていくとかすかに「サー」というノイズが出てくる。大きめの音量でライブを行う場合など、気になる人には気になるレベルである。メーカの対策に期待したい。塗装については全面いわゆるサラサラした艶消しのサテンフィニッシュのため、手や服がボディの塗装にこすれるとシュッワっと音がする。この雑音をボディ内のコンデンサマイクが拾い、ほんの少しであるがアウトプットしてしまう。使っていくうちにサラサラ感が無くなり雑音が出なくなるかもしれない(そうなると塗装ムラが生じる)が、それまでは静かな曲を演奏する時はこの雑音が出ないように少し気を配らねばならない。ピエゾのみのエレアコでボディ音をあまり拾わない機種ならいいが、SRS808に関しては「ボディヒットの音もコンデンサーマイクがキャッチしアウトプットします」とうたっており、それならば雑音の出やすい塗装はいかがなものかと思うが、私が気にしすぎなだけかもしれない…